毎日千遍の念仏:日課を立てて続けるには
念仏の日課とは、毎日の念仏の回数を決めて、一日も欠かさず行うことです。初めの方は毎日百八遍から始めて少しずつ増やし、記録とリマインダーを併用すれば、毎日の念仏はずっと続けやすくなります。
日課とは何か
日課とは、念仏を「思い出したときにするもの」から「毎日かならず行う課(か)」に変えることです。日課を重んじるのは、数字そのものに功徳があるからではありません。修行がいちばん怖いのは途切れることだからです。お念仏に少し味わいが出てきたところで止めてしまえば、また始めるときは振り出しです。日課の意味は、念仏を食事や眠りのように、日々の暮らしに根づかせることにあります。
回数で決めるか、時間で決めるか
時間で決めるか回数で決めるか——もともと定まった法はありません。印光大師は、在家の方の課についてこう教えています。
早晚於仏前随分随力、礼拝持念、回向発願。 ——『印光法師文鈔・鄧伯誠居士に復する書 一』
「随分随力」の四字は、まさに課を自分の分量にあわせること。時刻で決めても、回数で決めてもかまいません。ただ、現代の私たちの割れがちな予定という実情に即して、ここでは一つのやり方として「まず回数で決め、時刻は定めない」ことをお勧めします。「毎日千遍」が「毎日三十分」より向いている点は二つあります。
一つは、目標がはっきりしていること。三十分のうちに心がどれだけさまよったか、自分では分かりません。けれど千遍なら一遍でも欠ければごまかせず、終えれば終えたと、心がすっきりします。
もう一つは、時間の融通がきくこと。千遍は一息に唱えても、朝晩に分けても、一日のすきまに散らしてもかまいません。時間で決めるとまとまった時間が必要で、忙しい日ほど真っ先に削られてしまいます。
もちろん、回数で決めるときも気をつけたいことが一つ。数を追い急がないことです。一声一声をはっきり、一句一句を確かに唱えることは、千遍を数え上げることよりずっと大切です。印光大師の十念記数法の要も、まさにここにあります。
念得清楚、記得清楚、聴得清楚。妄念無処著脚、一心不乱、久当自得耳。 ——『印光法師文鈔・高邵麟居士に復する書 四』
逆に、生活が規則的な方なら、朝と夕に時刻を決めて線香一本分ずつ念じるのも、昔ながらのとても穏当なやり方です——時刻で決める行は数えにくいので、心の相続を基準にすればよいのです。
少なめから始めて、少しずつ
多くの方は、はじめに意気込みが大きすぎて、毎日一万遍と決めて三日で続かなくなります。ハードルを低くしましょう。まずは毎日百八遍——ちょうど数珠一連、ほんの二、三分。誰にでもひねり出せる時間です。
一か月間、一日も欠かさず唱えられたら五百遍へ。さらに一か月して千遍へ。一万遍を三日で終わらせるより、千遍を三年続けるほうがよい。千遍が習慣になり、毎日飲む水のように、唱えないとかえって落ち着かなくなったころに増やせば、自ずから成ります。
すきま時間を活かす
千遍は聞くと多いようですが、分ければそれほどではありません。待ち時間、列に並ぶ間、歩く合間に十数遍、数十遍。一日積み上げればかなりの数になります。
実は「随分随力」のあと、印光大師はすぐ続けてこう説いています。
除此之外、行住坐臥、語黙動静、穿衣吃飯、一切時、一切処、皆好念。 ——『印光法師文鈔・鄧伯誠居士に復する書 一』
忙しくて数えにくいときも差し支えありません。大師は十念記数法を説く際にこう述べています。「但作事時、或難記数、則懇切直念。作事既了、仍復摂心記数。」(『印光法師文鈔・高邵麟居士に復する書 四』)ただし、直念は散念とは違います。すきま時間は多くが動の最中で、一字一句は静室のときほど明瞭でなくてもかまいません。それでも力の及ぶかぎり心を収め、「一句の念仏が歴々と分明」であることをよりどころにしましょう。提え上げることができるなら、妄想の飛び散るにまさります。
すきま時間に散らして唱え、静坐して正課を唱える。道すがらで端数を積み、寝る前や朝のうちに残りを満たす。どんなに日が詰まっていても、毎日の念仏は難しくありません。
忘れた、途切れた、どうする
誰にでも課が途切れることはあります。残業、病気、外出。気づけば昨日唱えていなかった。そんなときにいちばん大切なことはただ一つ——自分を責めず、今日また唱えればよい、ということです。
途切れても、それまでの行が無駄になることはありません。念仏はポイントを貯めるのとは違い、一日休んでもゼロに戻らない。悔やむ心や「どうせ途切れたから」という思いこそが、本当のさまたげです。過ぎたことは過ぎたこととして、いまこの一声からやり直す。どうしても途切れがちな時間帯があるなら、日課を別の時間に移すか、二つに分ける。調整はあきらめではありません。
記録とリマインダー:念仏を習慣にする
続けることの半分は願いの力、もう半分は仕組みの力です。何日連続で唱えられたか、累計で何遍になったかが見えるのは、たしかな励みになります——誰かに見せるためではなく、自分の相続のための記録です。小さな一声のリマインダーも、課を取り戻すきっかけによくなります。
弥陀手帳は日課のためにあります。お念仏は一遍ずつ数えられ、記録とレポートが毎日の遍数と連続日数を自動で記録します。毎日のリマインダーは朝にも寝る前にも設定できます。記録は、ログインしない限りお使いの端末にだけ保存され(iOS ではあなた自身の iCloud にも自動でバックアップされます)、アカウントにログインすれば、複数の端末の間でクラウド同期もできます(詳しくはプライバシーポリシー)。リマインダーが鳴らないときはサポートページをご覧ください。
おわりに
千遍は多くありません。難しいのは、毎日千遍あることです。このお念仏が、一日一日、一生の課となりますように。南無阿弥陀仏。